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世界遺産

過去にも復活したノートルダム大聖堂、仏歴史学者が語る

1: しじみ ★ 2019/04/16(火) 17:44:20.57 ID:CAP_USER

【4月16日 AFP】ショックと無力感でただ見つめるしかないパリっ子と観光客の目の前で、ノートルダム寺院(Notre Dame Cathedral)の尖塔は焼け落ちた…15日、大規模な火災に見舞われた同寺院は多くの人々に愛されてきたが、実は数世紀にわたって放置されていたと、ある歴史学者が指摘する。

 中世史を専門とするフランス人歴史学者で、12世紀ゴシック建築の傑作であるノートルダム寺院に関する著作もあるクロード・ゴバール(Claude Gauvard)氏はAFPの取材に対し、同寺院の文化的な重要性はどれほど強調しても強調し過ぎることはないが、この建築物は歴史上、常に適切に扱われてきたわけではないと語る。

 ゴバール氏は「ノートルダムはパリの象徴であり、平和や連帯感、調和の象徴だ…そして、パリという街の特別な場所を占めている」と表現する。

 ノートルダム寺院はまた「ゼロ地点」でもある。フランスの首都から他の都市への距離はすべてここを基点に測定されている。

■復活は19世紀

 しかし、「ルネサンス期と18世紀にはどちらも、寺院は非常に傷んだ状態だった。国王の天蓋(てんがい)を通すために正面入り口をたたき壊すことだっていとわなかったほどだ」とゴバール氏は言う。「ゴシック建築として正当に評価され、修復されるには19世紀のプロスペル・メリメ(Prosper Merimee)やビクトル・ユゴー(Victor Hugo)といった作家たちや、ビオレ・ル・デュク(Viollet-le-Duc)やジャン・バティスト・ラシュス(Jean-Baptiste Lassus)といった建築家たちの仕事を必要とした」

 また、メンテナンスも十分でなかったとゴバール氏は指摘する。「ようやく現在進行中の修復作業が始まったといった具合だ。当然修復すべき時期だし、少々遅すぎた感もある」。同氏は修復開始前に尖塔の下を訪ねた。「一部のれんがはばらばらに崩れていて、落下しないように格子で保持してあった」

 今回の火災後の修復は可能かと尋ねると、ゴバール氏は「尖塔が焼け落ちたことは実はそれほど深刻ではない。ビオレ・ル・デュクの修復設計図に従って再建すればいい」と述べた。

 ビオレ・ル・デュクがいなければ、ノートルダム寺院はもはや存在していなかっただろうとゴバール氏は述べる。「1792年に──と言ってもフランス革命とは無関係なのだが──崩壊した尖塔を再建したのは彼だ。」

「しかし、この寺院の『森』、つまり屋根を支えていた巨大な木製の構造体が失われているだろう。これが私の危惧するところだ」

 さらにゴバール氏は、立場が異なる複数の機関がノートルダム寺院を管轄しているために修復問題が複雑化したのと同様に、再建が阻まれる可能性を懸念する。「再建費用は高額になるだろう。フランス全国、さらには外国からも修復のための寄付が集まってくれたらと願う」 (c)AFP

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https://www.afpbb.com/articles/-/3220967



引用元:http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1555404260/続きを読む

ストーンヘンジの埋葬者、4割は遠い土地の人か

1: しじみ ★ 2018/08/04(土) 19:18:16.20 ID:CAP_USER

(CNN) 英イングランド南部ウィルトシャーにある古代の巨石遺跡「ストーンヘンジ」。そこに埋葬されている人の40%は遠く離れたウェールズ西部出身だった可能性がある――。英科学誌サイエンティフィック・リポーツに2日、そんな研究結果が発表された。

ストーンヘンジに埋葬されている人の出身地に関して、直接的な証拠を提示した研究はこれが初めてだという。従来の研究の多くは建設の方法や目的が中心で、埋葬者や建設に携わった人々には焦点が当たっていなかった。

ストーンヘンジの建設は紀元前3000年にさかのぼり、遺体も火葬されていることから、埋葬者についての研究は容易ではない。ストーンヘンジは初期の時代には、主に墓地としての役割を果たしていた。

論文の筆頭著者クリストフ・スノーク氏は、ベルギー・ブリュッセル自由大学の博士研究員(ポスドク)で、考古学の分析に化学工学の技術を活用。分析の結果、埋葬者の40%はウェールズ西部が出身地である可能性があることがわかった。ウェールズ西部は、ストーンヘンジを構成する石の中で小規模な「ブルーストーン」の産地と考えられ、こうした石の輸送やストーンヘンジの建設にウェールズ出身者が携わっていた可能性が高い。

スノーク氏は英オックスフォード大学考古学研究所で博士課程の研究を行っていた際、火葬された骨にも重要な情報が残っていると示すことに成功。今回はイングランドの歴史遺跡を管理する団体から、25体の火葬遺体を「ストロンチウム同位体分析」と呼ばれる新しい技術で分析する許可を得た。

ストロンチウムはアルカリ性の土類金属で炭素より重く、死の直前10年間で口にしていた平均的な食べ物を反映する。一方、地質学的な組成や土壌はストロンチウム同位体の比率として表れる。遺体の骨にストロンチウム同位体分析を施すことで、こうした人々が生涯最後の10年間に住んでいた場所を割り出すことができる。

対象となった人骨は紀元前3180~2380年のもので、考古学者のウィリアム・ホーリーが1920年代に発掘した。ホーリーはそれをストーンヘンジの「オーブリーホールズ」と呼ばれる穴に埋め戻していた。

スノーク氏は「火葬はDNAを含むすべての有機物を破壊するが、無機物は残る。歯のエナメル質の研究から、遺体の無機物に膨大な情報が含まれていることがわかっている」と説明する。

火葬中の温度は、方法にもよるが華氏で1000度を超えることもある。スノーク氏によると、火葬で炭素や酸素といった軽元素は大きく変化するが、ストロンチウムなどの重元素には変化が見られず、「逆に高温に達することで骨の組成が変化し、埋葬された土壌からの影響を受けにくくなる」という。

分析の結果、15人は現地の人で、残り10人はウェールズ西部を含む英国西部で暮らしていた可能性がわかった。また火葬の方法は一様ではなく、異なる燃料を利用したか、異なる条件下で実施されたとみられるという。現地の人はストーンヘンジ周辺のような開けた土地で育つ木のまきを積んで火葬された一方、他の人はウェールズ西部のような森林地帯で育つ木を燃料に火葬された可能性がある。

だが、ウェールズで火葬されたとしたら、なぜストーンヘンジに遺体があるのだろうか。

ホーリーは1920年代の発掘の際、いくつかの火葬遺体は皮の袋に入っていたと述べており、スノーク氏は遺体が「埋葬のために遠隔地から運ばれた」と考えている。

論文でも、ブルーストーンがストーンヘンジに立てられたときに遺体が持ち込まれたのだろうとの考察が示されている。最近の研究では、ブルーストーンは当初、オーブリーホールズの中に立っていた可能性が示唆されていて、今回の研究結果は研究者に対して説得力を持つ内容となる。

ストーンヘンジの石や人骨がウェールズと結び付けられるということは、研究者をさらに面白い仮説や洞察へと誘う。それが事実ならストーンヘンジの建設は220キロ以上離れた地域のつながりが必要となる。5000年前の新石器時代に、ストーンヘンジを作り利用するために、人と物資がウェールズとストーンヘンジのあるウェセックス地域を行き来していたことになる。

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https://www.cnn.co.jp/fringe/35123562.html



引用元:http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1533377896/続きを読む
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