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日本

【朗報】五輪事業の中抜き、やっぱり凄かった

1: それでも動く名無し 2023/03/05(日) 21:41:46.72 ID:2k+cmSXEM

はい
no title


2: それでも動く名無し 2023/03/05(日) 21:42:16.22 ID:z7ST6u40M

現代の錬金術



引用元:https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1678020106/続きを読む

日本の島、35年ぶり数え直したら倍増の1万4000に、外周100m以下も含めると10万以上

1: シャチ ★ 2023/02/14(火) 00:05:58.69 ID:/7QQEZeE9

2/13(月) 21:11配信 共同通信
https://news.yahoo.co.jp/articles/64e7ce0ffe615c827106e11a3505a907e7e0ba27

 政府が日本全国の島を35年ぶりに数え直した結果、総数がこれまで公表されてきた6852から1万4125に倍増する見通しであることが13日、関係者への取材で分かった。地図の電子化に伴い調査精度が大幅に向上し、正確に把握できたためで、3月にも公表する方針。国土地理院が最終的な調整を進めており、数は変動もあり得る。

 領土や領海の広さは変わらない見込み。教育現場などで使われる各種資料の記述に影響を与える可能性がある。島の数はデータが古いまま長く放置され、実際と大きく異なると指摘されていた。

 今回は地理院の2022年の電子国土基本図をベースにコンピューターで自動計測。人工的に作られた埋め立て地などを除外するため、過去の航空写真などと照合した。条件に合致する島は小さいものを含め10万以上見つかったが、外周100メートル以上の島を選び出した。沖ノ鳥島など法令に基づく島も数に含まれる。

 領土の面積は同じ電子国土基本図が基になっており、変更はないとみられる。



引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1676300758/続きを読む

縄文時代「1万6000年続きました」←こいつ

1: それでも動く名無し 2023/01/09(月) 12:06:23.50 ID:nCiUo/Zf0

いくらなんでも長すぎるやろ
日本の伝統(笑)レベルやん


2: それでも動く名無し 2023/01/09(月) 12:06:45.88 ID:b7Jx7wCE0

そんだけ楽しかったんやろ



引用元:https://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livegalileo/1673233583/続きを読む

日本経済は「停滞と安定」から「変化と不確実性」の時代へ

1: おっさん友の会 ★ 2023/01/01(日) 17:48:29.34 ID:EdWyW8Vu9

日本は平均賃金で韓国に抜かれ、労働生産性は米国の約6割と言われている。
約3年に及ぶ新型コロナウイルス禍は何とか乗り越えつつあるが、ロシアによるウクライナ侵攻の影響が
心にも家計にも重くのしかかる。そんな中で幕開けした2023年。日本経済はどこに向かうのか。
経済財政諮問会議議員などを務めた経済学者の伊藤元重・東京大名誉教授(71)に聞いた。【聞き手・宇田川恵】

「停滞と安定」の時代は終わる
 ――コロナ禍に襲われた約3年をどう振り返りますか。

 ◆長く続いたデフレ、停滞の時代が大きく変わろうとする転換期だったと思います。

 今までの20~30年は、停滞はしていましたが、安定もしていたのです。デフレが起き、低金利が続き
経済成長率は非常に低かったものの、倒産件数は少なく抑えられていました。

 しかし、コロナ禍で世界経済の成長率は大恐慌以来、最悪の落ち込みとなったうえ、ウクライナ侵攻も生じました。
社会や経済にはさまざまな変化が起こり、これまでの常識は通らなくなっています。既に、為替市場では円安が進み
日銀が長期金利の抑制策を修正するなど、金融緩和一辺倒の時代も終わりつつあります。

 今後、金利が上がれば、企業の倒産が増えるかもしれません。個々の企業にとってはつらい話ですが
社会全体として見れば新陳代謝が進むという面もあります。今までの「停滞と安定」の時代が
「変化と不確実性」の時代に移っていくでしょう。

 ――成長率の低さが長く課題でしたが。

 ◆そこが…

この記事は有料記事です。 残り3312文字(全文3937文字)


続きはソースで  一部有料あり
毎日新聞 2023/1/1 15:00(最終更新 1/1 15:31)
https://mainichi.jp/articles/20221230/k00/00m/020/253000c



引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1672562909/続きを読む

ニホンヤモリは外来種だった?ヤモリと人の3000年の歴史

1: Ikh ★ 2022/12/03(土) 11:59:06.58 ID:IFFpDUge BE:456446275-2BP(1000)

sssp://img.5ch.net/ico/anime_morara01.gif
【発表のポイント】

ニホンヤモリは約3000年前に中国から九州に渡来後、人の移動や物流に便乗して東に分散したことを、ゲノムワイドの変異解析と古文書の記録で推定。
ニホンヤモリの分布拡大パターンは日本社会の発展と同調。
現在の生物分布と多様性に、近代以前の人と生物の関係が強く影響。

【概要】

ニホンヤモリは、日本民家の"隣人"で家の守り神(家守)として親しまれていますが、中国東部にも分布しており、実は在来種ではなく外来種ではという疑いがもたれてきました。しかし、渡来期も含めその来歴は不明でした。東北大学大学院生命科学研究科博士課程学生の千葉稔氏と東北アジア研究センターの千葉聡教授らのグループは、その日本進出の過程を、ゲノムワイドの変異解析と古文書の調査から推定することに成功しました。

ニホンヤモリは、約3000年前に中国から九州に渡来し、平安時代末までに近畿へ、一部が東海道を東進して江戸後期~明治初期に関東へ、また戦国時代に近畿から北陸に移った系統が江戸時代には、北前船の寄港地として栄えていた酒田へと移住したと推定されました。遺伝子から推定された歴史は古文書の記録と整合的であり、日本社会の発展の歴史との間に見られる多くの共通点は、ニホンヤモリが人や物資の移動に伴って分布を広げたことを裏付けます。本研究成果は、現在の生物の分布や多様性を理解する上で、近代以前の人と生物の関係が無視できない要因であることを示す重要な成果です。

本研究結果は、2022年11月30日の米国科学誌PNAS Nexus(オンライン速報版)に掲載されました。

東北大学プレスリリース 2022年12月 1日 11:00 | プレスリリース・研究成果
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2022/12/press20221201-02-gecko.html



引用元:http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1670036346/続きを読む

【邪馬台国】纒向遺跡は古代都市か?外来系土器が10%超…東海、河内、山陰、近江、吉備など

1: 樽悶 ★ 2021/08/13(金) 23:16:29.14 ID:j/7nGhWl9

 邪馬台国の有力候補地、纒向遺跡(桜井市)の「巻野内家ツラ地区」の溝から出土した土器を分析した結果、他地域から運ばれた外来系のものが全体の10%近くを占めることが分かった。胎土を分析するとより増える可能性がある。同遺跡が幅広い地域と結びついた古代の「都市」がったことが改めて裏付けられた。

 纒向遺跡では東海や北陸、関東など広範囲の外来系土器が出土しており、その割合はこれまで15~30%前後とされてきた。

 巻野内家ツラ地区は纒向遺跡の北東部に位置。大型建物群(3世紀前半~中ごろ)が確認されている「辻地区」に続く、3世紀後半の中枢部とされる。昭和62年に導水施設が見つり、水を用いた祭祀(し)の場だったと考えられている。

 桜井市教委文化財課の橋本輝彦課長は、平成8年度に巻野内家ツラ地区の溝から出土した土器を分析。土器の様式は「布留0式期」(3世紀後半)に位置付けられ、器種が確認できる口縁部の破片全1687点をカウントした。

 その結果、全体に占める外来系土器の比率は10.3%と判明。そのうち地域別では東海系が最も多く43%で、河内系13%、山陰系11%、近江系8%、吉備系7%などだった。阿讃系(13%)や南関東系(2%)の土器も確認できた。

 昭和51年刊行の纒向遺跡の報告書「纒向」では外来系土器の比率の多さと、搬入地域の広範囲性が指摘され、同遺跡が3世紀の日本列島において中心的な地だったことを示す特徴の一つとされてきた。

 橋本課長は「(すべてを調査対象にする)悉皆(しっかい)的な調査だが、従来のデータと変わらない数値が得られた。研究も進み大和と他地域の関わりがより厳密に分かるようになってきており、アップデートする作業が重要になる」と話している。

 分析の成果は、桜井市纒向学研究センターの紀要「纒向学研究第9号」に掲載された。

奈良新聞 2021.08.10
https://www.nara-np.co.jp/news/20210810090736.html
2021年8月10日 16:30
https://note.com/naranewspaper/n/n497963d6218b



引用元: http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1628864189/続きを読む

140年前の日本人口ランキング、最下位は開拓使、東京は17位、3位愛媛、2位新潟

1: 七波羅探題 ★ 2021/06/15(火) 06:48:43.30 ID:r4S1LB7q9

Diamondオンライン6/15(火) 6:01配信
https://diamond.jp/articles/-/273081

 約140年前の明治時代、人口日本一だった県とは?

 第1回日本帝国統計年鑑をもとに、今から約140年前、1880年の日本の府県別人口を見ていこう。人口が多い順にランキングしてみると、現在とは異なる意外な顔ぶれが上位に集まった。

● 1880年の人口日本一は石川県 2位新潟、3位愛媛

 府県別の人口順位のデータを見ると大抵の人は驚く。現在の人口順位とは余りにも違い過ぎるのだ。1位は石川県、2位新潟県、3位愛媛県というように、現在は決して人口が多いとはいえない県が、上位にランクされているからである。

 このデータを見て「おやっ!」と思うかもしれない。最下位の北海道が40位だからだ。現在の行政区分は47都道府県なので、47位であってもよさそうなものだが、富山、福井、奈良、鳥取、香川、徳島、佐賀、宮崎の8県が載っていない。堺県という現在では存在しない県がある。この人口統計が行われた当時、日本の行政区分は沖縄を加えて3府36県、北海道は開拓使が管轄していた時代だったのだ。

 行政区分が当時と現在では大きく異なっていたということは別にして、明治時代の日本は純然たる農業国で、農村で人手を必要としていたのである。したがって、都市部に比べ農村部の人口が比較的多かった。当時、石川県は現在の富山県と福井県(若狭を除く)も管轄していたが、それを割り引いたとしても、石川県が日本で一番人口が多かったというのは意外だろう。北陸は日本有数の米どころ、農業が盛んな地域だったというのが人口の多かった最大の理由である。2位の新潟県も米の一大生産地だった。

 それに対して、東京府はわずか95.7万人で17位、大阪府はそれよりも少ない58.3万人で34位と下位にランクされている。当時の東京府は現在の特別区(23区)を領域とする非常に面積の狭い地域だったのだ。現在は日本の政治経済文化の中心地として人口が密集する東京だが、当時は都心部を除けば、のどかな田園風景が広がっていた。東京23区の人口は、現在では900万人を突破しているので、当時と比べれば10倍近い増加率である。大阪府の人口が少なかったのも、東京府と事情はよく似ている。

 このように、農業を主産業としていたわが国は、農村地帯に比べ都市部の人口がそれほど多くはなかった。わが国の産業が次第に発展していくのにともない、人が農村から都市へ、地方から大都市圏へ移動していったのである。

【「140年前の日本の人口ランキング」はこちら】
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引用元: http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1623707323/続きを読む
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