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稲作

「初期農耕集団が京都盆地でも定着」 弥生期の大規模集落跡 京都、社会変遷たどる手掛かりに

1: 樽悶 ★ 2018/07/27(金) 06:23:11.35 ID:CAP_USER9

水田跡で確認された弥生人の足跡(26日午後2時41分、京都市下京区醒ケ井通松原下ル)
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 京都市埋蔵文化財研究所は、下京区醒ケ井通松原下ルの元醒泉小で、弥生時代中期初頭(紀元前4~3世紀)の大規模な集落跡が見つかったと発表した。水田や建物の跡、石器や管玉などの出土品もまとまって発見され、近畿北部の弥生社会の変遷や実態を解明する手掛かりになるという。

 小学校整備に伴い弥生~飛鳥時代の「烏丸綾小路遺跡」の南西部約2900平方メートルを調べた。

 水田は、調査地東側にかつて流れた鴨川支流の汚泥がたまったところに東西5メートル、南北12メートルで見つかり、人の足跡のほか、土壌中に稲のもみ殻約200粒があった。京都大吉田南キャンパス(左京区)で見つかった弥生前期の水田に次いで市内で2番目に古い時期になる。近くに約10棟の竪穴建物跡もあった。

 稲作に使った石包丁や、武器に用いる石のやじりといった石器、千点以上の壷(つぼ)や甕(かめ)などの土器、管玉も出土した。

 市中心部では平安京建都以降、開発が繰り返されたため、古い遺構や遺物は壊れていることが多い。集落の人は北側の四条通周辺に移った後、ここを埋葬地に使うなど土地利用の変遷も分かるという。

 関西大大学院の森岡秀人非常勤講師(考古学)は「稲作を始めた弥生前期から中期にかけ、近畿では集落が農耕適地を求めて移動するケースが多く、調査により初期農耕集団が京都盆地でも定着していたことが鮮明になった。弥生中期初頭の出土品がまとまって得られた意義も大きく、近畿北部の弥生文化や社会の実態を研究する上で貴重な成果だ」とする。

 現地説明会は28日午前10時~11時半。当日の問い合わせは現地事務所。

京都新聞 2018年07月27日 06時00分
https://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20180726000170



引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1532640191/続きを読む

日本人にも固有種が存在した? ミトコンドリアDNAで辿る日本人のルーツ

1: 泥ン ★ 2017/12/25(月) 17:58:00.81 ID:CAP_USER9

縄文時代や弥生時代の住居である竪穴式住居。
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http://www.zaikei.co.jp/files/general/20171222104716DMM0big.jpg

 現代の日本人は縄文人と渡来人と混血して誕生した。国立科学博物館で人類のDNAについて研究する篠田謙一博士は、Newton誌において、そう述べている。

 人類の起源を探る研究では、母親から子供へ受け継がれるミトコンドリアDNAの分析し、同じ特徴を持つグループ「ハプログループ」に分類する手法が使われる。

 現代日本人のDNAには縄文人と渡来人のDNAがおおむね2:8の割合で残っているという。その縄文人のDNAがM7aとN9bである。

 M7aは日本人にしか見られないグループで、韓国の一部で確認されているものの、縄文時代に日本から移住したと考えられている。M7aは南方に起源があるとされている。

 N9bもまた、朝鮮半島沿岸部で一部見られるものの、基本的には日本人にしか見られないグループである。N9bはシベリア付近に起源があると考えられている。

 これは大陸からやってきた渡来人が日本に住み着いていた縄文人を淘汰することなく、混じり合いながら勢力を拡大させていったことを表しているという。そして、現代の日本人の基礎なると弥生人が誕生した。

 また、縄文人のDNAとされる二つのグループは、北方(シベリア系)と南方(アジア、東南アジア系)を起源とする、二つの種族がいたことも理解できる。

 人類の起源は東アフリカに存在した新人(ホモ・サピエンス・サピエンス)だとされている。その東アフリカを旅だった集団の一部が日本列島にたどり着き、日本人の祖先の一つである縄文人となったと考えられている。

 新人がどのタイミングで日本列島にやってきたのかまでは、判明していない。縄文時代(約1万5,000年~約3,000年前)には縄文土器を代表とする狩や漁を中心とした独自の文化を築いていたことだけは確かである。

 弥生時代(約3,000年~約1,700年前)になると、大陸から渡来人が渡ってきて縄文人と合流し、稲作文化などを伝えた。そして弥生人という呼称がつけられたのである。

 その後のことは日本史を紐解けば、日本人がどう歴史を築いてきたかを知ることができるだろう。

 縄文時代と弥生時代の文化のレベルに大きな差違があるため、縄文人は滅んでしまったのではないかと考える人も多い。しかし、DNA鑑定をしてみると、日本人の原種ともいえる縄文人のDNAは、現代の日本人にもしっかりと受け継がれているのである。

財経新聞 2017年12月22日 10:47
http://www.zaikei.co.jp/article/20171222/417865.html



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